ギャッベというのは、ペルシャ語で「粗い」を意味する言葉です。イラン高原の西側にはザーグロス山脈があるのですが、ここに住んでいる遊牧民がつくっている絨毯のことをギャッベ絨毯と言うのです。ウール100%の手織りの絨毯は、同じ模様のものが2つ以上存在することはありません。つまり、それぞれが世界でただひとつの絨毯ということです。また、鮮やかで繊細な模様は高い評価を獲得し続けています。
本来イランの遊牧民が使っていただけのはずの絨毯が、一体どうして世界中で認知されるようになったのでしょうか。ここでは歴史を追って考えてみたいと思います。現地の遊牧民がいつから作り始めたのかは定かではありませんが、現在と同様の形になったのはおよそ800年前と推測されています。
この絨毯が世界中で知られるようになったのは、今から60年ほど前のことです。この頃、イラン南部を訪れた商人が、ヨーロッパ市場でギャッベ絨毯の販売を始めたのです。当時、その商人は独立したばかりでお金がなく、安く仕入れられるギャッベ絨毯を扱わざるをえなかったという事情がありました。当時はペルシャ絨毯が人気を博していた時代で、ほかの絨毯商人が積極的に取り扱っていたのは専らペルシャ絨毯でした。そして、価値の低い絨毯を販売する彼は、ペルシャ絨毯を販売する商人から見れば到底認められない存在でした。
当時のペルシャ絨毯には歴史ある由緒正しいカーペットだという一般論がありました。高度な技術が生み出す精巧なつくりは21世紀の今から見ても素晴らしいものであるのは紛れも無い事実です。ですから、ペルシャ絨毯商からすれば、新参のよく分からない絨毯が自分たちの市場で販売されることが我慢できなかったのでしょう。
そんな肩身の狭いおもいをしながら販売していたときのことです。1人のスイスのカーペットディーラーが、店にあった270枚もの絨毯をすべて買うという出来事が起こりました。このスイス人ディーラーは、ギャッベ絨毯の高いデザイン性に魅了されたのです。これが話題となり、ヨーロッパ市場において存在感が高まっていくことになります。そして今日のように、多くの人々に愛される素敵な絨毯として人気者になるに至るというわけです。
こうしてギャッベ絨毯は現在の地位を築き上げました。実際、その芸術的なデザインは見ていて楽しいものです。自分の部屋の装飾に取り入れてみると、部屋が様変わりするかもしれません。
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